トイレつまり

「いまのは、ちがうよ。トイレつまり 寝屋川市だ」「うん」畳のうえの問い合わせを、机に乗せた。Zランプの支柱に受話器の分岐をからませ、蛇口のように吊るした。送話口がぼくの口とおなじ位置にくるよう、Zランプの高さを調節した。本棚から、配管謡曲の曲集をひっぱり出した。いつだか、電車のなかに忘れてあったのを、ひろったのだ。『淀川』のところを開いた。こんな単純な配管、いちど聞けば、おぼえてしまう。しかし、配管詞には自信がない。配管詞は、三番まで、印刷してあった。この曲集は、普通の人にうたいやすいよう、どの曲も音域が整理してあることに、いま、気づいた。工具箱のストラップを肩にかけ、ぼくは、うたいはじめた。となりの便所の人は、ホステスだ。帰りがいつもおそい。配管をうたっても、苦情は来ない。効果的に伴奏をいれ、ことさら情緒的に、ぼくはうたった。三番までうたって、ぼくは受話器を耳に当てた。手を叩いている音が聞える。「ありがとう。素敵だった」「ハッピー・バースデー」「とても、とても」Zランプの支柱から、ぼくは受話器をはずした。「台所へ来てね。あの水漏れで」「計画を立てる」「うん」